キリギリスはどこに隠れているのでしょうか

何もかも忘れて何かに没頭して、自分を解放することは大切なことだと思います。私にとってそれは「曲を作る」ことです。パソコンにインストールしたソフトで、リズムとベースと、ドラムと、ギターと自分の歌を入れ込むのです。歌詞も書くのですが最近こんなフレーズが飛び出しました。テーマは今、あまり聞くことのなくなったキリギリスの声を「どうして少なくなったのか」を問う、それなのです。
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その結論と言える「問い」に至るまでのあふれ出て来たのは私自身でも思いがけなかったある人物の姿でした。その人物はビールジョッキの中にエンゼルフィッシュを入れて飲むのです。「ぶっ飛んだ」表現だなと思ったのですが、先に書いたキリギリスの減少と通底していることに気づきました。私の心の中にわだかまっているのは、本来私たちと共生できるはずの生き物たちとの「共生を阻んでいるもの」に対するプロテストの心情だと気付きました。

そして思うのです。遥か昔からこの星で生きていた生き物たちにとって、私を含めた「人間」は敵になってしまったのではないかということです。このことは「人間」の心が、極論すればコンクリートや自動車に興味が向くけれど、昆虫などどうでもいい、または何も感じない状態になってしまったのではないかということです。歪んだ文明が「レッドデータブック」を膨らませているのではないでしょうか。

しかし、諦めたり忘れ去ったりしない限り、本来人間か持っている自然をいとおしむ心は甦るはずです。子供のころの自然の中で発見した美しさや驚きは深く残っているはずです。いい意味での楽観主義は思いがけない力を発揮すると思います。太陽が昇るように闇を照らす力は人間の心の中にあると思うのです。